2012年01月27日
焙煎修業とともに人物も創る!2004年春
京都の師匠の元へ、珈琲豆の焙煎を教えて欲しいと相談に来られる方が何人もおられました。
その度に、「もうちょっと考えたほうがいい」となだめられ、その人に向いている仕事や考え方をゆっくりと教えてあげられるのです。
私が修行を始めて1年以上が経過していましたが、その間、誰一人として焙煎の入門を許可された方はいませんでした。

そんなある日、師匠に尋ねてみたことがあります。
「私は、こうして珈琲豆の焙煎を教えていただき本当に良かったと思っていますが、なぜ他の方にはお教えされないのですか?」と。
すると、師匠は言われました。
「焙煎という技術だけなら、いつでも教えることはできる。しかし、これを業(コーヒー業)として続けて行くには、単に焙煎技術だけではあかん。やはり、その人間の人物(人柄や能力に優れた人)が出来てないと無理や」
「焙煎という技術とその人のもつ人物とがバランス良く行かないと続くものではない」
私は、この言葉に身震いするほどの衝撃を受けました。
「自分が珈琲豆の焙煎を続けて行き、そして、それを将来のコーヒー業として成功させるには、自分に”人物”が備わってないとダメなんや」
「今まで、実は、焙煎だけを教わっていたのではなく、同時に、コーヒー業を営んでゆくための考え方までも教わっていたんや」
と。
私は、このときようやく師匠という人物の奥深さと、私への期待の大きさに気付かされました。
「この修行期間中に、コーヒー業としての勉強をしないとあかん。そして、それと同時に自分という人物も造ってゆかんとあかんのや」と。
それからでした。
今までは、本業(広告業)が忙しくなると、どうしても焙煎の研修を後回しに思っていた自分をひっくり返し、先ず、焙煎の研修がありきで、仕事をそれに合わせてスケジューリングしてゆくことにしたのです。
それまで、週2回しか通ってなかった焙煎も、それからは週3回にまで頻度を上げました。
その度に、「もうちょっと考えたほうがいい」となだめられ、その人に向いている仕事や考え方をゆっくりと教えてあげられるのです。
私が修行を始めて1年以上が経過していましたが、その間、誰一人として焙煎の入門を許可された方はいませんでした。

そんなある日、師匠に尋ねてみたことがあります。
「私は、こうして珈琲豆の焙煎を教えていただき本当に良かったと思っていますが、なぜ他の方にはお教えされないのですか?」と。
すると、師匠は言われました。
「焙煎という技術だけなら、いつでも教えることはできる。しかし、これを業(コーヒー業)として続けて行くには、単に焙煎技術だけではあかん。やはり、その人間の人物(人柄や能力に優れた人)が出来てないと無理や」
「焙煎という技術とその人のもつ人物とがバランス良く行かないと続くものではない」
私は、この言葉に身震いするほどの衝撃を受けました。
「自分が珈琲豆の焙煎を続けて行き、そして、それを将来のコーヒー業として成功させるには、自分に”人物”が備わってないとダメなんや」
「今まで、実は、焙煎だけを教わっていたのではなく、同時に、コーヒー業を営んでゆくための考え方までも教わっていたんや」
と。
私は、このときようやく師匠という人物の奥深さと、私への期待の大きさに気付かされました。
「この修行期間中に、コーヒー業としての勉強をしないとあかん。そして、それと同時に自分という人物も造ってゆかんとあかんのや」と。
それからでした。
今までは、本業(広告業)が忙しくなると、どうしても焙煎の研修を後回しに思っていた自分をひっくり返し、先ず、焙煎の研修がありきで、仕事をそれに合わせてスケジューリングしてゆくことにしたのです。
それまで、週2回しか通ってなかった焙煎も、それからは週3回にまで頻度を上げました。
